移住労働者と定住者〜両者の出会いの中に復活はある〜

司祭 バルナバ小林さと
「大地よ、恐れるな、喜び踊れ。主は偉大な御業を成し遂げられた。」 ヨエル書2・21
  神の被造物である大地に対して「恐れるな」との言葉が発せられる。
   大地とは、人々が自然の恵みを受ける所。大地から人間は喜びの産物を受ける。大地の実りは神の祝福を表す。
   ゆえに大地に対して神が「恐れるな」と宣言することは、人々が豊かに実りを享受できることの約束である。この約束に基づいて、「喜び踊れ」と神は命じられる。
   人は大地の実りを楽しむ時、心と体は喜びで踊り出す。
     このような大地の恵は、等しくすべての人が分け与えられるべき神の祝福である。
     ここに二つのタイプの人々が登場する。聖書の民、難民であり、移住労働者であり寄留者であるイスラエル人。もう一方は都市定住型の人々である。聖書は移住型の人々の暮らしと定住型の人々の暮らしが交差することを良しとしている。更に言えば移住型の人々の視点を通して大地の実りをいかにすべての人々が分かち合えるかを約束している。
    思えば移住型のイスラエル人達は非常に少数である。マイノリティーである。マイノリティーは少数であるがゆえに数々の不利益を被る。しかし、この少数者の存在が大多数の人々を支えているということを聖書は教えてくれる。
      聖書の物語がどれ程人々に励ましを与えてきたかは万人の知るところであるが、聖書の登場人物たちが、一様に弱小グループであり、虐げられてきた少数者であったということには私たちはあまり思いが至らない。
     先日、京都教区の教育部主催で、中高生世代の人たちとフィリピンからの移住労働者家族との交流プログラムが行われた。最初の説明では今世界に1億2000万人の移住労働者がいてその内8000万人が職を求めて移住せざるを得ない人々であると言う。後の4000万人は迫害や戦争のための難民だと言う。日本に来ておられる移住労働者家族によって私たちが支えられている。私の中高生時代の暮らしも父は外国からの移住労働者と共に働き、そうして私たち家族の暮らしは成り立っていた。移住労働者の生活は不安定であり、人権が蹂躙されやすい。聖書に登場するイスラエルの人々も同じだった。この移住労働者の存在から私たちが共に生きる視点を与えられるということを私たちの生活の中心に据えられないだろうか。その視点から私たちが共に分かち合い、共に喜び踊れる希望を抱けないだろうか。この世界は物もお金もだぶついている。今こそ分かち合う時。聖書の言葉はすべての人にとっての約束であり希望である。
「お前達は豊かに食べて飽き足り、驚くべきことをお前たちのために成し遂げられた主。お前たちの神なる主の御名をほめたたえるであろう。わたしの民は、とこしえに恥を受けることはない。」2・26



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